2018年 09月 21日
涙雨 |
ピアノコンサートのレポが途中で途切れてしまいました。
義母が亡くなったのは記事を載せた日の夕方、でした。義弟が亡くなったわずか2ヶ月後のことでしたが、義母は99歳という高齢でしたので、いつその日が来ても、と覚悟ができていたつもりでしたが、やはり人1人がこの世にいなくなる、もう会えなくなる、というのは、心にぽっかりと穴があく思いでした。
ましてや自分の母親と同じくらいの年月を、家族として過ごし、同居はしていなかったけれど、一番近しい家族の1人でもあった義母、私とのお付き合いはここ40数年間でしたが、夫の幼馴染の友人達は、子供の頃によくご飯を食べさせてもらった、おやつに出してもらった手作りのシュークリームが美味しかった、時々は目一杯叱られた、などなどの想い出話もたくさん聞くことができました。
戦争に翻弄されながらも、大正、昭和、平成と生き抜き、欲もなく、いつも子供や孫達の心配をして、平凡に生き抜いた義母、特に病気らしい病気にもならずに最後は老衰で亡くなりました。
8月の末、私がやっと歩けるようになってすぐ、久しぶりにお見舞いに行った時、歩けるようになったよ、会いに来られなくてごめんね、まだ足は痛いけど段々良くなるからまた来るからね、と報告した別れ際、義母が何か言いました。 義母の言葉は聞き取りにくくて、こんな時は本当に耳の聞こえが悪いのが悔やまれましたが、幸い一緒に来ていた孫が聞き取ってくれて「足、お大事に」と言ってくれました。
それまで義母のお見舞いに行く時には、いつも爪切りと産毛剃りを持って行って 産毛や眉毛などをこまめに手入れをしていましたが、私の入院と療養の間、それができず、産毛が伸びてしまいました。 義妹はあまりそういう事に気がつかないのです。 夫が義母に「おひげが伸びたね」と言ったところ、「○○ちゃん(私の事)でないとねー」と言ったとか。
それからは産毛剃りを義妹に頼んでやってもらうことにしました。
同居していない分、良い想い出しかないのかもしれませんが、義理の母とは思えません。そんな人でした。
孫5人、曽孫8人に見送られ、遠くへ旅立ちました。
一気に涼しくなり、今日は冷たい雨です。
by jhety97
| 2018-09-21 15:28
| 日々のこと
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