2015年 06月 01日
感音性難聴 これまでのこと 4 |
詳しい聴力検査を受けることになった。
いつもの検査室にて・・・・・・
これまでの検査では、片耳ずつの、ヘッドフォンをつけて、音が聞こえたらボタンを押す、というもの
だったが、今日は違う。テレビ画面に向かって座る。
両耳で一緒の検査となるらしい。補聴器はなし。
画面の人が言っている言葉を 紙に書き取って行く。
音は大きいのや、小さいのや。全部で30回くらいか。
まずは「は」とか「む」とかの単音・・・・ これが一番ハードルが高いなぁ・・・・
いつもながら、わからなくて凹む、最初に検査した時には、わからないのが情けなくて、
涙が出てきた。もうそれも慣れたけれど。
次は、画面が消えて、音だけで単音の聞き取りをする。
同じやり方で、「単語」の聴き取り。 続いて「文章」。
文章は、書き取りでなくて、復唱していく。
文章となると、前後の脈絡があるので、脳が想像して補ってくれるらしく、
ほとんどがわかる。脳の働きって、すごい。
検査が終わり、しばし待つと、補聴器外来の先生に呼ばれる。
検査の結果は、単音、単語ともに、良くはないが、文章の聴き取り正確度はなんと90%を
超えている、とか。 確かにほとんど間違わなかった・・・と思う。
手術について、先生は・・・ はっきり言って慎重派、なんだと思う。
外国では、私の聴力では、間違いなく「人工内耳」治療を受ける範囲なのだけれど、
私の場合、残存聴力で、文章であれば聞き取る能力はこれだけある、
先生は迷っているらしい・・・・
だが、検査の時の状況では、静かな環境での一対一、先生と対面している時と
同じなのだ。今だって、先生とは対話はできる。これと同じ条件が生活の中で
いつも同じように揃う時は、むしろ少ない、その証拠に、日常生活では
家族と話していても、もっとわからないではないか?
しかも、私の聴力は、これからもどんどん下がる、10年前と今ではかなりの差がある。
まだ体も元気で、適応しやすいうちに、少しでも聴力が上がる方法があるのなら、
出来ることがあるのなら、是非、手術を受けさせ下さい、とお願いした。
次の予約日までに、耳鼻科外来の先生とも協議しましょう、ということになって
その日は終わった。
そして、ほぼ一か月後の5月中旬、予約時間で行くと、耳鼻科外来の先生に通されて、
補聴器とも協議した結果、手術の方向で考えましょう・・・と言われた。
是非、お願いします、という私の声は上ずっていたかもしれない。
次に補聴器の先生にお会いしたら、「決めましたか、勇気がありますね」と言われる。
私と同じような聴力の人でも、手術となると躊躇して、しばらくはこのまま補聴器で、
と言う人が大半なのだという。
手術は片耳だけするので、しない方の耳には、今まで通りに補聴器を付けましょう、と
いうことに決まり、貸与されていた補聴器だったので、新規に購入する手続きを
することになった。これも福祉の方で、割引があるそうで、診断書を出して、申請が通ると、見積もりの一割負担で、購入できるということだった。
制度があるのは、本当にありがたい。
決まったのは良いけれど、手術は怖い、やっぱり怖い、それにどのくらいの聴力が得られるのかも
はっきり言って未知数なのだ。
治療費の問題は・・・・昔は数百万かかった、と聞いていたが、現在は保険適用されたので、
それほど問題にもならないようだ。
人工内耳を付けるとMRIを受けられない、というのは気になったが、
詳しく聞けば、なんらかの方法もあるようだし、MRIが受けられない人、というのも
たくさんいるらしい。
この日は、新しくコミュニケーション外来という所の先生に紹介された。
どうやらこの先生が手術をしてくださるようだ。
中待合で待っていると・・・・・ 主に幼児、それも歩けないような小さい子が
たくさん待っている。 健常者もいれば、あきらかに顔つきが少しおかしい子もいて、
生まれつきか、あるいは、すぐに聴力が失われてしまったようなお子さんたちなのだろうと、
胸が痛んだ。 健康で生まれてくる、というだけでも、幸運で奇跡的なのかもしれない。
我が家の孫たちの顔が頭をよぎった。
こうして、私の手術が6月下旬で、仮予約された。
いつもの検査室にて・・・・・・
これまでの検査では、片耳ずつの、ヘッドフォンをつけて、音が聞こえたらボタンを押す、というもの
だったが、今日は違う。テレビ画面に向かって座る。
両耳で一緒の検査となるらしい。補聴器はなし。
画面の人が言っている言葉を 紙に書き取って行く。
音は大きいのや、小さいのや。全部で30回くらいか。
まずは「は」とか「む」とかの単音・・・・ これが一番ハードルが高いなぁ・・・・
いつもながら、わからなくて凹む、最初に検査した時には、わからないのが情けなくて、
涙が出てきた。もうそれも慣れたけれど。
次は、画面が消えて、音だけで単音の聞き取りをする。
同じやり方で、「単語」の聴き取り。 続いて「文章」。
文章は、書き取りでなくて、復唱していく。
文章となると、前後の脈絡があるので、脳が想像して補ってくれるらしく、
ほとんどがわかる。脳の働きって、すごい。
検査が終わり、しばし待つと、補聴器外来の先生に呼ばれる。
検査の結果は、単音、単語ともに、良くはないが、文章の聴き取り正確度はなんと90%を
超えている、とか。 確かにほとんど間違わなかった・・・と思う。
手術について、先生は・・・ はっきり言って慎重派、なんだと思う。
外国では、私の聴力では、間違いなく「人工内耳」治療を受ける範囲なのだけれど、
私の場合、残存聴力で、文章であれば聞き取る能力はこれだけある、
先生は迷っているらしい・・・・
だが、検査の時の状況では、静かな環境での一対一、先生と対面している時と
同じなのだ。今だって、先生とは対話はできる。これと同じ条件が生活の中で
いつも同じように揃う時は、むしろ少ない、その証拠に、日常生活では
家族と話していても、もっとわからないではないか?
しかも、私の聴力は、これからもどんどん下がる、10年前と今ではかなりの差がある。
まだ体も元気で、適応しやすいうちに、少しでも聴力が上がる方法があるのなら、
出来ることがあるのなら、是非、手術を受けさせ下さい、とお願いした。
次の予約日までに、耳鼻科外来の先生とも協議しましょう、ということになって
その日は終わった。
そして、ほぼ一か月後の5月中旬、予約時間で行くと、耳鼻科外来の先生に通されて、
補聴器とも協議した結果、手術の方向で考えましょう・・・と言われた。
是非、お願いします、という私の声は上ずっていたかもしれない。
次に補聴器の先生にお会いしたら、「決めましたか、勇気がありますね」と言われる。
私と同じような聴力の人でも、手術となると躊躇して、しばらくはこのまま補聴器で、
と言う人が大半なのだという。
手術は片耳だけするので、しない方の耳には、今まで通りに補聴器を付けましょう、と
いうことに決まり、貸与されていた補聴器だったので、新規に購入する手続きを
することになった。これも福祉の方で、割引があるそうで、診断書を出して、申請が通ると、見積もりの一割負担で、購入できるということだった。
制度があるのは、本当にありがたい。
決まったのは良いけれど、手術は怖い、やっぱり怖い、それにどのくらいの聴力が得られるのかも
はっきり言って未知数なのだ。
治療費の問題は・・・・昔は数百万かかった、と聞いていたが、現在は保険適用されたので、
それほど問題にもならないようだ。
人工内耳を付けるとMRIを受けられない、というのは気になったが、
詳しく聞けば、なんらかの方法もあるようだし、MRIが受けられない人、というのも
たくさんいるらしい。
この日は、新しくコミュニケーション外来という所の先生に紹介された。
どうやらこの先生が手術をしてくださるようだ。
中待合で待っていると・・・・・ 主に幼児、それも歩けないような小さい子が
たくさん待っている。 健常者もいれば、あきらかに顔つきが少しおかしい子もいて、
生まれつきか、あるいは、すぐに聴力が失われてしまったようなお子さんたちなのだろうと、
胸が痛んだ。 健康で生まれてくる、というだけでも、幸運で奇跡的なのかもしれない。
我が家の孫たちの顔が頭をよぎった。
こうして、私の手術が6月下旬で、仮予約された。
by jhety97
| 2015-06-01 07:30
| 日々のこと
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